2007年7月31日火曜日
スペイン・バルセロナ旅行(2日目)②
スペイン・バルセロナ旅行(2日目)①
2007年7月26日木曜日
スペイン・バルセロナ旅行(1日目)②
▲途中、私の夫は首に日本語の漢字で「首」と刺青をいれた若者を発見!大笑いしながら、すぐさまデジカメをポケットから取り出し撮影!
(しかし、ちょっと遠すぎたのでみ見ずらいですねぇ)
▲サン・パウ病院とサグラダ・ファミリア聖堂を結ぶ道の真ん中にはたくさんのカフェテリアが並んでいました。
●バルセロナの目印はサグラダ・ファミリア聖堂! そして、ついに来ました超有名建築家ガウディ氏の最高作「サグラダ・ファミリア聖堂」。いや~(゜o゜)ガウディ氏はとてつもない作品を残したものです!この聖堂前に立っているだけでも、ものすごい重迫を感じます。
▲竣工してから約200年以上(@_@;)たった今でも建築が続けられています。
この聖堂を写真におさめようと何枚も何枚を写真を撮ったのですが、あまりに被写体が大きすぎて1枚の写真には入りきらない(>_<)。しかも、工事中であっためあちらこちらにクレーンがありうまく写真が撮れない!
とういうことで・・・Click here
もう一つおまけに・・・Click here
ちょっとここで、ガウディ氏についてのお話です。 ガウディ氏は若い頃、あまり仕事には恵まれずかなり四苦八苦していたようです。しかし、ある時「グエル公園」のグエルさんから仕事の依頼を受け、それが見事に成功しガウディ氏はグエルさんに認められ、それからガウディ氏はグエルさんの立派なお抱え建築士となったのです。ごのグエルさんはたいそうな大富豪で、いろいろなところに家や別荘をガウディ氏に造らせたようです。実際にバルセロナ市内にもグエルさんの本拠であった「グエル邸」やグエルさんが週末だけ過ごしたと言われる「グエル別邸」もあります。いうならば、グエルさんはガウディ氏のパトロンだったということでしょう。
ここからはちょっと悲しいお話です。 晩年のガウディ氏はこのサグラダ・ファミリア聖堂の建設に専念し、質素な生活を送っていました。そして1926年、ガウディ氏は市電に引かれて悲惨な死を遂げてしまったのです。亡くなった時はあまりにみすぼらしい服装をしていたため浮浪者と間違えられそうです。しかし浮浪者に間違えられたのも、ガウディ氏はこのサグラダ・ファミリアを建設するために、ほとんどのお金をつぎ込んでいたので服も買えなかったのですよ。なんとも悲しい(T_T)お話・・・。 葬儀はガウディ氏の才能を愛した市民だけではなく、ガウディ氏に小銭を恵んだ“本物の浮浪者”たちも参列して行われたそうです。個人的な意見ですが、建築家としての情熱を持ち自分の理想を追い続けたガウディ氏の生き方は最高だと思います。
●このカサ・ミラも世界遺産なの!? 1日目の最終目的地「カサ・ミラ」へやってきました。(勿論、歩いてです) サグラダ・ファミリア聖堂からテクテクと歩いてかれこれ30分。(真夏の屋外30分徒歩はかなりしんどいです)
AKO: (辺りをキョロコロとしながら) 「どこ?どこにカサ・ミラがあるの?」
夫 : (右手の人差し指でカサ・ミラを指しながら) 「あれだよ、あれッ!」
AKO:「ん~ん、どこ?どこの建物ことを言ってる?」
しばらくして普通の高級マンションらしき建物の前にでようやく私はこれが「カサ・ミラ」であるということがわかりました。
▲どう見ても普通の高級マンションにしか見えないですよね?
▲一応、これが正面から見たカサ・ミラです。
▲建物の屋上にあるものが世界遺産なのでしょうか・・・(私は、わかりません)
せっかく来たのだから、全くわからないというのもなんなのでガイドブックで勉強してみることにしました。
〖ガイドブック引用〗 徹底的に直線を排除し、ゆがんだ曲線を主調とするカサ・ミラは、山がテーマ。屋上の煙突は、山の尾根から突き出した峰々をあらわしている。最上階はガウディ建築に関する展示室「Espai Gaudi」になっており、屋上も見学できる。 とのこと・・・・。
しかしやっぱりカサ・ミラに関しては感動薄し・・・。
最後のカサ・ミラの感想はさておき、1日目のバルセロナ観光はこれで終了です。今朝の4時30分から活動していたため1日がとても長く感じました。振り返るとこの日はガウディづくしの1日だったように思います。高校時代に世界史の教科書を読んだだけの薄っぺらな知識なんかより、確かに自分のものになったと実感しています。そして、何よりこうして自分の目で見て肌で感じることができて本当に良かったです。夫に感謝です。
スペイン・バルセロナ旅行(1日目)①
◀▶この二つの家、おとぎ話に出てくるようなお菓子でできた家みたいだと思いませんか。とっても可愛らしい家でした。